特集・追悼  金子兜太さん

金子兜太(かねこ とうた)さん略歴

 

埼玉県比企郡小川町出身の俳人

 

1919年9月23日~2018年2月20日(98歳)

東京帝国大学経済学部卒

日本銀行勤務

加藤楸邨に師事、「寒雷」所属を経て「白狼」「海程」を創刊。主宰。新俳句人連盟の中央委員に推薦され栗林一石路とともに雑詠欄の選者。その後も後進を育てつつNHK、朝日俳壇等の選者。上武大学文学部教授、現代俳句協会会長などを歴任。現代俳句協会名誉会長、日本芸術院会員、文化功労者。小林一茶、種田山頭火(自由律俳句)の研究・実作者。

 


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  秩父の白狼、金子兜太さん

(京都新聞:コラム凡語)

 

 

98歳で亡くなった俳人、金子兜太(とうた)さんは埼玉県・秩父の人だ。<沢蟹(がに)・毛蟹喰(く)い暗らみ立つ困民史>。明治の自由民権運動の激化で、秩父の農民たちが困民党を組織、武装蜂起した秩父事件を想起させる▼詩人の正津勉さんは<語り継ぐ白狼(はくろう)のことわれら老いて>の句に大胆な解釈をしている。明治まで秩父に多く生息し伝説にもなっているオオカミが困民党を導いた-そんな語り継ぎを仮想したうえで、「白狼」とは金子さん自身ではないか、と▼戦後俳句をけん引した「白狼」。金子さんは書いている。秩父という「産土(うぶすな)」を思うとき、必ずオオカミが現れる。命の原始さながらにじっと土に静かに立つ(「日本行脚俳句旅」)▼戦争体験が俳句の原点だが、そこにはイデオロギーではなく、野性的な魂の発露を感じる。戦場で餓死を生々しく見つめた目だ。晩年に安保法制に反対したのも、太い根っこがあってこそだろう▼根っこといえば、五七調定型は日本語の「土」と体感している。日銀職員として神戸支店に赴任し、関西前衛の俳人らと熱い議論を交わす中でのこと。俳句専念を決意した頃だ▼夫人と死別後の一句がある。

 

合歓(ねむ)の花君と別れてうろつくよ

 

 

トンネルを抜け、滋賀に出た時に見えた合歓の花。愛あふれる白狼、足跡を残し旅立った。

 

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哀 悼          

 

 

 困民の巨星 梅の太き幹

 

 うぶ砂に兜太の足跡  春の風

 

                             石田宇則

 

 

 

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金子さん訃報、   

被爆者ら惜しむ声

「痛みに寄り添った人」


 

 

 

 日銀時代には被爆地長崎で勤務し、〈湾曲し火傷し爆心地のマラソン〉という句を生んだことでも知られる。長崎県被爆者手帳友の会の井原東洋一会長(81)は「体を張って権力に対抗する人という印象を持っていた。残念だ」と話した。 自らの戦争体験を語り、平和運動にも尽力した俳人金子兜太さんの訃報に、被爆者や関係者は「体を張って権力に対抗する人」「痛みに寄り添った人」と惜しんだ。

 長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(78)も「平和運動にとって大事な人を失った。平和への思いを引き継いで頑張っていきたい」と惜しんだ。

(京都新聞他)

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金子兜太の俳句、鑑賞(35句)

 

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.夏の山国母老いてわれを与太と言う

                     

 

 

馬といて炭馬のこと語るもよし

 

 

突出の鬼色曼珠沙華朽ちて

 

 

樫の木の真顔と冬の光かな 

 

 

梅咲いて庭中に青鮫が来ている

 

 

夏は白花抱き合うときは尻叩け

 

 


水脈の果て

炎天の墓碑を置きて去る

 

について 

 

 

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戦後の現代俳句をリードした俳人で文化功労者の金子兜太さんが今月20日にお亡くなりになりました。享年98歳。俳句のことはよくわかりませんが、長い間、公明新聞の「俳壇」の選者を務められた方でもあります。学生時代からと俳誌に投区され、日本銀行に勤務される傍ら作句活動。社会問題を積極的に詠み込む「社会性俳句」の旗手として活躍。現代俳句協会会長、同名誉会長などを歴任された方でした。

 

日経新聞コラム「春秋」も金子さんについて記していました。

 

「鹿児島県南九州市の「知覧特攻平和会館」は、散華した若者の遺書を数多く展示する。婚約者のマフラーを巻いて出撃した大尉(23)は、「あなたは過去に生きるのではない」と彼女に新たな伴侶を探すよう諭した。特攻兵のほとんどが大正生まれであることに気づく。

 

大正世代は1912年から26年の生まれ。敗戦の年を19歳から33歳で迎えた。「大正生まれの俺たちは/明治のおやじに育てられ/忠君愛国そのままに/お国のために働いて……」。その名も「大正生まれ」という唄がある。生き残った者は、皇国の崩壊後、どのような倫理に従って生きるのか、を問い続けることになる。

 

評論なら吉本隆明、小説では島尾敏雄、俳句は大正8年(1919年)生まれのこの人だろう。おととい98歳で亡くなった金子兜太さん。「水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る」は南洋トラック島からの復員船で詠んだ。非業の死を遂げた戦友が眠る島へと続く白い航跡を魂に刻んだ。自由な社会を希求する句作の原点だ。

 

兜太さんは晩年、一茶が残した「荒凡夫(あらぼんぷ)」という言葉を好んだ。荒を「粗野な」の意味でなく「自由」と読む。凡俗だが自由で、人さまに迷惑をかけない存在、と解釈し、生の指針とした。大正生まれのなんとすがすがしい到達点だろう。「合歓(ねむ)の花君と別れてうろつくよ」。荒凡夫の愛に満ちた句を胸に、お別れしたい。」

 

ご冥福をお祈りします。

 

(公明党 横浜市会議員  行田朝仁 / 2018年2月25日)

 

2017年11月、現代俳句協会から特別功労者の表彰を受け、笑顔で写真撮影に応じる金子兜太さん

 

 

 

  2月20日死去した俳人金子兜太さんが育ったふるさと、埼玉県皆野町で金子さんを知る人は「おおらかな人だった」などと死を悼んだ。

 

 町では近年、9月23日の誕生日を祝う催しが毎年開かれ、俳句大会なども行われてきた。町内には、地元の風土を詠んだ金子さんの句碑が幾つも建立されている。

 

 金子さんが誕生日のたびに訪れていたうなぎ屋「吉見屋」の店主塩谷容さん(82)は「手土産に句を書いた色紙をくれた。白焼きがお気に入りで、『ここに来るとホッとする』と話していた。優しくおおらかで立派な方でした」と話した。

 

(京都新聞)

 

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2019年4月26日 金曜日

8:12

【聴き逃し】俳人・金子兜太が見た戦争

                                                                          2018年8月7日(火)放送         | NHKラジオ らじる★らじる 

 

 

http://nhk.jp/radio/?p=P000100_01

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いっぷく

 

   

 

 

明日への「つぶやき・提言」を

  

 

  私たちは、恐竜時代にさかのぼる一億年以上の歴史をもつ篠山盆地に育まれ、カエルや兎、猿や熊たちと共に四苦八苦しつつ、共に生き抜いてきました。そして、石器や土器、鉄などを工夫、発明・発見し、生産を高め、それを喜び、芸能や様々な文化を遺してきました。それらは、近代化の明治以降、一層の発展を遂げました。しかし、発展の中の矛盾は、日清-日露-日中-第二世界大戦へとエスカレート。ついに、核爆弾によって目の覚めた日本は、ポツダム宣言を受託。永年の諸矛盾は、革命的に止揚・変革されました。

 

  戦争は完全に否定され、新しい憲法案がGHQ、日本政府、野党だけでなく高野私案も提出されました。そして、世界の人々が数千年にわたって希求してきた、平和・主権在民・人権を三原則とする現行憲法が制定されました。

  天皇の戦争責任は免罪され、日本は、平和国家として、本源的蓄積をなし遂げ、「世界第二の経済大国」に成長しました。そして、かつてない長寿‐高齢化の時代に突入しました。 !

 しかし、そのバブルははじけ、わがふるさと篠山も少子化-人口激減の下り坂の崖っぷちへ。同盟の経済大国」アメリカは「双子の赤字」にオバマケアも昏迷混沌。

 

   こうした 栄枯盛衰、四苦八苦-流転の現世。 少子/高齢×2人に1人がガン=時代。ここの諸矛盾をどう止揚・解決するかが、今、問われています。

   医療介護福祉の受け手の世代になって見えてきたものを現役世代と率直に話し合い、自治体・市の行政に具現化されるよう、青雲の志をもって、フォーラム:《みんなの広場》を開催し、ネット・スマホ版のホームページ《みんなの広場》の常設を念願しています。

 

  国立篠山病院撤退二十年、医療センター新築十年の節目の年。ひっぱくする財政と医療介護福祉の政策‐‐‐。  各クラブ内外の切実な問題について、質問、意見など3分以内に要約して、ご参加ください。

 

  なお、インターネット・スマホ版の「みんなの広場」は、篠山市立中央図書館、市民センター図書館で、無料でご覧いただけます。また、スマートフォンから、どこからでも 「つぶやき」、提言、画像の投稿・共有ができます。

 

明日の篠山

ー老若男女 みなの手でー 

 

 2017.11.7

 

 

みんなの広場/市老連篠山支部教養学習部 

  

≪寄せ書きに見る当時の思想=昭和18年≫

 

「皇風万里」 

 

祈 武運長久 為○○○○君

 

必勝  勲 鏃痕

撃ちてしやまめ 一抜日本刀

 

神州健児 一死報国 ( ノД`)      

もっとスゴイのが七生報国

 

……………………

 

 

どう生きる  少子/高齢

           

         二人に一人

               

               ガンの時代

 

 

みんなの広場 2017   を開催して

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 ー講演・フォ ―ラムー 

2017年11月 29 日(水 )  13:30~

篠山市民センター  多目的ルーム  

 

 

    篠山市の人口推計グラフは、どの調査も右肩下りの一直線(右下グラフ)、その上に「二人に一人」が癌の時代。癌を「新生物」という新語に置き換えても癌は癌。この時代を、どう生きるのか、上紺屋憲彦教授・医博にご講演いただきました。

   

 癌を切らないで治療ができるよう、そのパイオニアとして、希望を持って取り組んでいらっしゃる情熱に感銘しました。

   フォーラムでは、

★聴力と視力の重複障害を乗り越え、また誤診後の絶望と医師の居直りにも堪えて毎日笑顔で「一万歩」、犬の案内で歩き続けている体験を聞きました。

★医療、福祉政策研究者より、国・県の病床減の厳しい政策の解説などを聞きました。

★市福祉部長より、高齢になっても、病院に依存し切らないよう、日ごろから健健に留意した運動等を実践すること。希望と目標を持つこと…が重要と提言されました。

 

   上紺屋憲彦教授・医博は、提言や参加者の質問に、一つひとつていねいに答えてくださいました。

 

   参加者からは、よかった」、「もっと広く呼びかけたら」等の感想を多数いただきました。

 

老若男女どなたでも、自由に体験やご感想、ご意見等 お寄せください。

           (市老連篠山支部 教養学習部長 石田宇則

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閑かさや

  岩にしみ入る蝉の声

 

                                 芭蕉

   ロードミラーより高い巨大ひまわり

 

 

 

山本  章さん(和田)  栽培 の巨大ひまわり (2012年)

  

  第8回篠山市民センターまつり  

◇ と き  128日 (日) 10:0016:00

◇ ところ  篠山市民センター

 

俳句等の展示、演奏、バザー、講演

 

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